日本人は風呂が大好き。とりわけ温泉は「ゆっくり休む」の枕詞のように使われるほど、日本人にとっては馴染み深いものです。温泉は湯そのものの効果もありますが、温泉街のもつゆったりと流れる空間も私たちの心を癒してくれます。
モンゴルや中国にも温泉はありますが、高貴な人しか楽しむことはできませんでした。一方、日本では温泉に行くことがひとつの文化となるほどまでに人々は温泉に親しみ、昔から湯治に出かけます。
火山国である日本は各地に温泉が湧き出ているという地の利もありますが、温泉は日本人に大変適した療法であるといえます。なぜなら、日本の気候は年間を通して湿気が強く、特に冬は湿が溜まって足が冷え、関節痛が悪化します。温泉で温めて湿を取ることで痛みが和らぎます。
温泉に関するさまざまな研究で温泉の物理作用、温熱作用、薬理作用が解明されています。最近では、温泉の温熱刺激が視床下部から自律神経に働きかけ、免疫機能を改善したりホルモン分泌に影響を与えることが注目されています。
温泉に関して、『日本書紀』に最初の記述がみられます。怪我をしたサルや鹿が温泉に入って傷を癒すのをみた人が「怪我をしたときに入れば治るのではないか」と思って試し、温泉が見つけられたとあります。
奈良時代、聖武天皇の皇后である光明皇后が風呂を治療に使って以来、日本では温泉と風呂と灸による治療が主流になりました。
鎌倉時代に梶原性全(かじわらしょうぜん)によって書かれた本には、桑の木など香りを入れた風呂の処方があります。ショウガ湯やあせもに桃の葉湯など風呂療法が発達しました。
平安、鎌倉、室町時代にかけて風呂は主に寺にありました。これは「施浴」と呼ばれるものです。布教の目的もあって、寺では僧の入浴後、近隣の人々に寺の風呂を無料で開放しました。有名なものに東大寺や本願寺の風呂があります。これらは今でいうサウナのようなもので、「風呂」は当時大衆風呂として使われていた「湯」とは区別されていました。
江戸時代、日本の古法という漢方の祖である後藤艮山(ごとうごんざん)が温泉の研究を進めました。彼は別名「湯熊灸庵(とうゆきゅうあん)」と呼ばれるほど、熊の胆嚢(熊胆)と温泉と灸を頻繁に治療に使いました。 熊の胆嚢は理気でストレスを取り、温泉は補陽、利湿、気をめぐらす効果があります。灸も補陽して湿をとるので、日本人の体質に大変あっています。
後藤の弟子にあたる香川修庵は全国の温泉を訪ねて、有馬温泉の鹹湯(しおゆ)が治療には最適であるとしています。
温泉にはさまざまな効果がありますが、入りすぎると体に悪い、また温泉に入ってはいけない人もいます。それらについては貝原益軒の『養生訓』に詳しく、例えば体の弱い人は温泉に入りすぎると気虚になり、病状が悪化する等が書かれています。
温泉には入り方にもさまざまな工夫がされています。「お医者様でも草津の湯でも・・・」で有名な草津温泉は江戸時代から湯治客で賑わっていました。
草津では「ゆぼみ」という指導にしたがって温泉に入ります。まず板で湯をかき混ぜます。これは準備体操にあたります。それから足に湯をかけ、腰にかけ、頭からかぶり徐々に湯に慣れていきます。入る時間も決められており、「湯から出てください」の指示があれば、一斉に湯から上がります。薬と同じで、温泉の処方があるのです。 秋田県の玉川温泉の源泉は微量のラジウムを含み、末期ガン患者が多く訪れることでも有名です。
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